Hyo
2009年03月15日
12:55
昨日、某所のセミナーで、ある方が(笑)世間には「アバターを馬鹿にしている人」がいるという話をされていた。始末に悪いのは、この世界に全く関心のない人ならともかく、この業界でのビジネス展開に関心があり、相談を持ちかけているにも関わらず、そういう雰囲気が感じられる人がいるという。所詮はオタクや子供の遊びじゃないか、でも時代の趨勢ならしょうがないかなどとどこか、相手を低く見ている雰囲気があるという。
これは、ぼくもほぼ同じことを感じることが多く、プレゼンなどで、少しでもその空気を感じることがあると、(笑顔だけれど)「アバターを馬鹿にしないでくださいね。裏にいるのは皆さんと同じような優秀な人たちですよ」とコメントすることが、習慣になった。気持ちを読まれたのか、苦笑いをする方たちもいる。
それほどに、まだこの国では特にビジネス界の人々の、アバターに対する視線は冷ややかだ。基本的に得体のしれないもの、理解のしがたい世界にいる人というムードがある。恐る恐る覗き込んだ時に、ビジネスになるかもしれないので、しかたなくこの生理的な抵抗感と「戦って」いるという人はかなり多いと思う。オンラインゲームの業界がどんなに利益をあげようとも、他の「堅実な」産業界からどこか遠巻きにして見られている状況と、大差がないといってもいいだろう。
2007年ごろの上げ潮ムードがいったん去ると、そのころには「必死に」メタバースに関する話を聞きに来たのに、いまではパーティなどで会うと、そそくさと「逃げて」(笑)いく人もいる。大丈夫ですよ、メタバースの話しかしないわけではないから(笑)
件の講演者の方は、「SLなどのメタバースにいるユーザーは、技術的知識もあり、コミュニケーション能力もある、インターネットユーザーでは先進に属する優秀な人たちなのだ」と答えていると言われていたが、まったくその通りだと思う。この世界でコミュニケーションし、さまざまな人間的なトラブルを乗り越えていくことはリアルと同じように大変なことなのだ。技術オタクでは越えられない壁を、この面倒な世界で立派に乗りこなしている。優秀でないはずがない。
実は当方のプレゼンの場ではもっと生々しい話が威力があり、「実はXXXXに勤務している人や、リアルでXXXXの開発に携わった方もいるんですよ」などと、リアルの企業名や実績をあげるのが手っ取り早い。それによって、たちまち会議室の雰囲気が変わるような経験を僕は何度もしている。昔の青い自分なら、おそらくそれも嫌っただろう。でも、いまは違う(笑)。ストレスに関わる時間は最小限にしたい。
しかし、思えばこれもおかしなことなのだ。リアルの勤務先や業績をちらつかせなければ、アバターを信頼できないということ自体が、おかしいし現状認識の部分でも間違っている。メタバース内で素晴らしい活動や業績を残してさえすれば、その方がワールド内でニワトリであろうが、モヒカンであろうが(笑)そのことの才能に、そのことの力に単独で評価がされてしかるべきなのだ。そして、多くの場合そうした場合にはリアルの業績など黙っていても自然とわかってくる場合が多いし、仮にもしもその人がまだリアルでは、評価されず、チャンスに恵まれていないとすれば、それを引き出して世に見せていく最大のチャンス=(いやな言い方かもしれないが)絶好の買い場かもしれない。
現在、自分は大学の名前でプレゼンすることが多くなっているので、基本ラインであの大学がこういうことをやっているんだというスタートラインから入る。あほなことをやっているけど、さっきから延々わけのわからないダンス(笑)を見せられるけれど、大学のやっていることだから、何かあるんだろうと。
でも、実際には同じことなのだ。大学も大企業も関係がない。僕は自分が信じているもののことを語っているのだし、ぼくのアバターも多分同意するだろう(笑)
インワールドでの成果を見ることは、いつか明日のリアルを変えるための先行指数をみていることだろう。いや、もしかしたら永遠にリアルには戻ってこず、メタバース内でのみ相乗的な価値生産を繰り返す世界を僕らはこの先見るのかもしれない。でも心配することはない。それがいま私たちが生きようとしている世界だ。経済価値はあとから必ずついてくるはずだ。インターネットの歴史を振り返れば、それもまた循環を繰り返す話なのだろう。それだけのことだ。
次々と目新しいビジネスモデルを乱暴に書きなぐり、インワールドでアカウントも持たず、かん高い声で自分の予測がいかに正しかったか、誰よりも早くこの先を予言したか。それを得意げに吹聴する人たちが短期的にとはいえ、日本におけるメタバースの発展を阻害した。この先も彼らは風向きさえ変われば戻ってくるだろう。
そんな人間たちよりも、僕はワールドの片隅にいる無数の「不当に馬鹿にされているアバター」の力を信じたい。これは安手のヒューマニズムや綺麗ごとではなく、いつか世界は確実に彼らの方向に向かっていくと、信じているからだ。